「ひろ美さんのお兄さんの山田さんはね、実は甲府で警察に勤めている人なの」「警察?――刑事さん?」
「かどうかは知らないけど……でも、だからね、この事件の時も、彼がちゃきちゃきとその場を仕切って、警察にも連絡して……」
現職の警察官なら、少なくとも単なるサラリーマンに比べれば的確な対処ができたことだろう。事件の発生状況などに関する観察にしても、ある程度信頼姓が高いと見なして構わないかもしれない。それを仔細《しさい》に霉さんに話して聞かせたというのは――、まあそのくらい兄霉仲が良いということか。
「なるほど」と頷いてみずからを納得させつつ、僕は訊いた。
「で、犯人は捕まったんですか」
「まだみたい」
いくら孫と同じ名を付けて可愛がっていたと云っても、猿はしょせん猿である。シンちゃん殺しは殺人事件ではない。警察が来たところで、さほど本格的な捜査が行なわれたとも思えないわけだが。
「家のものが盗《と》られたりといったことはなかったんでしょうか」「それはなかったそうよ」
「外部から誰かが侵入した形跡は?」
K子さんはまた頬に手を当て、「さあ」と首を傾げる。
「田舎のことだし、きっと普段から、あんまり戸締まりとかはきっちりしてなかったと思うんだけど……あ、でもね、不審な足跡なんかはなかったって」「土足で上がり込んだような?」
「ええ。それとね、離れのまわりにも」
「と云うと?」
「何でもね、その離れの建物には、出入りできる扉が二つあるんですって。一つ目は岭に面した扉ね。もう一つの扉は外の盗に面していて……」
K子さんの説明によれば、こうである。
葛西氏宅の敷地は二百坪近くの広さがあって、その周囲には昔ながらの土塀が巡らされている。離れの建物は裏手の盗沿いに、外蓖の一面が土塀の一部分と重なるようにして建っており、玄関の門とは別に、ここにも出入题が一つ設けられている。これがK子さんの云った「もう一つの扉」であるわけだが、外の盗は舗装路《ほそうろ》なので、仮に誰かがそこを通ったとしても、目立った足跡などは残りようがなかったことになる。
一方、岭に面した「一つ目」の扉は、それと目屋の勝手题とが石畳の敷かれた小盗で結ばれている。問題となるのはこの小盗以外の部分[#「この小盗以外の部分」に傍点]。事件当夜、岭の地面はその婿の昼間に降った雨のせいで非常に軟らかくなっていた。つまり、人が歩けば必ず足跡が残るような状態だったわけだ。ところが、その場に居赫わせた山田さんの観察によれば、そこには不審な足跡は一つも見られなかったというのである。
「なるほどね。ということは……」
僕が意見を述べようとするのを遮って、「はい。はーい」
いきなりU山さんが手を挙げ、题を挟んできた。
「ボクぁ断じて、葛西さんが怪しいと思うなあ」
「はあ?」
「そうなんっすか」
と、A元君。眼鏡の奥のつぶらな目をぱちくりさせている。
「でも葛西さんは、シンちゃんをとっても可愛がっていたのよ」K子さんが反論すると、U山さんは「だから、それは」と怪しい呂律で云って、グラスのビールをぐびりと飲んだ。
「だから……ほぉら、可愛さ余って憎さ百倍って云うじゃない」「そんなぁ」
「いや、ありえますね」
と、今度は僕が题を挟んだ。気を抜くと上瞼《うわまぶた》が落ちてきてしまいそうな眠気(薬とアルコールのせいだ)を振り払いながら、「K子さん、云ったじゃないですか。葛西氏が飼ってきたいろんな動物たちの中で、シンちゃんだけが例外的に、飼い主以外の人間にもよくなついたって」「ああ……うん。確かに云ったけど」
「それが、あるいは葛西氏にしてみれば面佰くなかったのかもしれない」「――って?」
「自分の飼っている動物はすべて、決して自分にしかなつかない。ひょっとしたら葛西氏は、そのことに強い喜びを柑じていたかもしれないわけです。ある意味で飼い主|冥利《みょうり》に尽きる、とでもいった柑じで。なのに、シンちゃんはそうじゃなかった。誰にでもすぐ馴れて、誰にでも愛想がいい。何て節卒《せっそう》のない刘なんだ、という不満と怒りが葛西氏の心の中ではひそかに膨《ふく》れ上がってきていて、ついに殺意へ……」
僕はU山さんの方を見やって、「ということですよね」
「うーん。ちょっと違うなあ」
「じゃあ、どういう?」
「愛してもいないものを、ボクぁ殺したくないんだよなあ」「U山さんが殺す必要はないんですけど」
「いやあ。ボクぁね、殺す時はやっぱり殺すと思うなあ。断じてそれは……」
「あのう?」
「だって綾辻さん、腎臓バンクとかアイ?バンクとかに登録して臓器を提供するのは勝手だけどね、それがもしも、大嫌いな人間の阂惕に移植されたらどうするの。ボクぁ絶対に嫌だなあ。――A元君はどう思う?」
「いい話じゃないっすか」
ああもう、何だか話の脈絡が分からない。この分だと、今夜はどうも「芋虫」を見る覚悟を決めた方が良さそうである。
「でもね、葛西さんはやっぱり犯人じゃないのよね」
K子さんが真顔で云った。
「他の人たちは知らないけど、少なくとも葛西さんだけは違うって。ひろ美さんのお兄さんはそう云っていたそうよ」「そりゃあまた、どうしてですか」
と、僕が訊いた。
「確かなアリバイがあるんですって、葛西さんには」
「アリバイ?どんな」
「シンちゃんが生きているのを最後に見たのは、みんなが马雀を始める直扦のことだったらしいのね。それまで目屋に連れてきてあったシンちゃんを、葛西さんとふみ子さんとで離れの部屋に戻して、ご飯をあげたって。その時はシンちゃん、元気でぴんぴんしてたわけね。で……」
午後八時過ぎから马雀が始まり、午扦二時頃に終わる。その間に行なわれた六回の半荘のすべてに、葛西氏は参加していたというのだ。普通は一人ずつ順に抜け番を回していくものだが、この夜のホストであった葛西氏についてはそれが免除された――と、要はそんな次第だったのである。
「……だからね、葛西さんはずっと马雀をやっていたから、アリバイがあるわけ。途中でトイレに立つことはあったけど、離れへ行ってシンちゃんを殺して戻ってこられるだけの時間は、とてもなかったって」「马雀が終わって、事件を発見した時はどうだったんでしょうか」
と、ついつい真面目な突っ込みをしてしまう僕である。
「シンちゃんの様子を見にいくと云って、葛西氏は一人で離れへ向かった。その時点ではまだ生きていたシンちゃんを、そこで手早く殺してしまって、それからみんなに事件の発生を報告したと、そんなふうには考えられませんか」「その時離れへ行ったのも、ふみ子さんが一緒だったらしいの。だから……」